ホーム読書から学ぶ ≫ 瞑想すべきか、否か

瞑想すべきか、否か


今、ステファンボディアン著 『今、目覚める』 という本を読んでいます。今朝、読んだ中に印象的な一文がありました。

多くの方にはあまりご興味のない話かもしれませんので、ご興味のある方だけお読みください。私自身の備忘録として書いておきます。

「あなたがしていることをしなさい。していないことは、しないことだ」。もし、あなたが静かに座りたいと思うなら、その衝動を尊重します。そして、瞑想に興味がないなら、する必要はありません。いずれにせよ、瞑想すべきだと思うから瞑想するのはやめましょう。

ステファン・ボディアン著 『今、目覚める』 より引用

私は出来るときには、朝、瞑想をしていますが、それはマインド(思考)を鎮めれば鎮めるほど、あるがままの自分が現れてくるから、瞑想をするべきだと思っていたように思います。

だから、瞑想中にあまり思考が出てこない時は、良い瞑想が出来たと満足していたわけですが、それについても書かれています。
そして、知性が自分の選んだ道を説明しようとして作りだす物語や信条に注意をはらいましょう。実際、分離した「瞑想者」とは、瞑想についてあなたが自分自身について語る物語の登場人物です。たとえば、あなたは「さあ、瞑想できた。私はとてもよくやっている」 とか 「どうやって瞑想したらいいのかわからない。これでは目覚められないだろう」 といった物語を自分に語ります。もしかしたら 「私はもう瞑想を超越したから、もう練習する必要はない」 などと語ったりするかもしれません。結局、こうした物語に執着することで、あなたは真の瞑想や、すべての言葉の下にある深い沈黙から切り離されてしまうのです。「悟りはすでにある」と、ラマナ・マハルシは言います。「しなければならないのは、私は悟っていないという考えを取りのぞくことだけだ」。このような考えや物語は、「真の自分」という神秘的で計り知れぬ海の表面で、起こっては消える波のようなものです。波を取りのぞく必要はありません。ただ、あるがままの波を見つめ、瞑想しようがしまいが-----------海の中に飛び込みましょう!

ステファン・ボディアン著 『今、目覚める』 より引用


私の場合、まさに知性が作りだした物語に耳を傾けていました。

『今日はマインドが静かだったから、よい瞑想ができた』 とか、『今日はマインドが騒がしかったから、あまり良い瞑想ができなかった』 とか、『今日は昨日よりマインドが静かだったから、より真の自分に近づいてきたぞ』 とかですね。

真の自分とは、そういう物語や考えとは関係ないという話です。

これ以上は何も書けないのですが、とても気になります。

Ads by Google


にほんブログ村 ライフスタイルブログ 50代の生き方へ ←あなたの応援クリックが励みになります
関連記事

コメント













管理者にだけ表示

Copyright © 『ありのままの自分』の探し方 All Rights Reserved.
当サイトのテキストや画像等すべての転載転用・商用販売を固く禁じます
RSS1.0 | 管理モード | template by 風花スタイル