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下を向いて歩く~幸せを感じるために私達にできること


世界陸上のメダリストの為末大さんが読者のお悩みに答えるコーナーがあります。

そこで答えている為末大さんの回答が秀逸だったので、みなさんにもご紹介します。

病弱な夫、貯金ゼロの生活がつらい

病弱な夫を抱え、貯金もなく毎日仕事に追われ生活にゆとりはありません。友だちや兄弟など周囲の人の生活ぶりをみるにつけ絶望するほど落ち込むことも多いです。周囲に反応しないように自分なりの幸せを感じ希望をもって前向きに生きるにはどのように心がければいいと思われますか?  またその心がけや習慣を維持させていくコツがあれば教えて頂きたいと思います。(女性・会社員・57歳)

 とてもつらい状況ですね。これは少しずつでも認識を変えていくしかない話だと思います。未来のことを考えると不安しかない状態なら、今と過去にフォーカスするしかない。ナチスドイツの強制収容所での体験を書いたフランクルの『夜と霧』に、クリスマスには必ずここから出られるという希望を支えにしていた人たちは、クリスマスが過ぎるとバタバタ死んでいったそうです。

フランクルはそれを見て、希望というのは何かにすがることじゃなくて、いまこの瞬間にあるということなのではないかと考えました。収容所で生き延びるときに重要だったもののなかに「愛」があるのですが、それは目の前に愛する人がいるということではなくて――そもそも家族や友人のほとんどが殺されていたりするので――愛する対象がいたということを思い出す行為でした。

何かしら毎日思い出すことはできますよね。それを意識的にやるということも大事だと思うんです。毎日小さな幸せを見つけましょう、という月並みな話になってしまうかもしれませんが、それって意外にパワーがあることだと思うのです。


 あと、この方は「周囲の人の生活ぶりを見るにつけ絶望するほど落ち込む」と言っておられますが、苦しさの源には比較があると思います。ほかの人と比較して「なんで自分だけ」と思うと余計に苦しいですよね。

がんばった人は報われる、正直者は救われる、という考え方があるとなおさらだと思います。支払った対価と得られるものは究極的にはバランスするという前提だと、頑張っているのに報われない自分、頑張ってないのに報われているあの人、というふうに見てしまう。とくに友だちや兄弟のような近しい人が自分に比べて恵まれていると思うとよけいに面白くないのでしょう。


AV監督の村西とおるさんがインタビューで「人生死ぬほどつらいときは下をみてください。村西がいます。何十億円という借金を抱えて生きている私を見て、『あいつよりはましだな』と思って活力にしてください」といった内容の話をされていました。

自分なりの幸せを見つけましょう、というときれいな言い方になりますが、村西さん流に言うと「下を向いて歩く」というのもありだと思うんですよね。自分はまだ恵まれているのかな、というふうに思ってみる。

僕は子どもの頃からそういうふうに考える癖がありました。不思議なことにそう思うと落ち着いたんです。競技をやるときでも、「途中でハードルで転んで予選で落ちていたかもしれない」と考えると、そうならなかっただけで「ラッキーだな」と思えてくる。常に期待値を下げて「思ったより悪くないんじゃないか」と自分に信じさせる。


 幸せってつまるところ落差だと思うんです。どこを基準に考えるかで感じ方が変わる。「ある」っていうことを当たり前だと思うか「ない」ことを当たり前に思うか。現実も、現実に対する認識も簡単には変わらないと思いますが、少なくともそういう考え方もあるということをときどき思い出してみていただければと思います。

病弱な夫を抱えたゆとりのない生活に絶望しています より引用

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