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傷の舐め合いと助け合いの違いとは、そして平和実現のために一人一人ができることは


少し前に傷の舐め合いと助け合いの違いについて、和田先生のお言葉を頂きましたが、また今回もより詳しく頂きました。

そして、私が一心寮にいた頃からずっと口にされていた平和実現のことも聞いてみました。

では、続きを読むからどうぞ。




1984年9月8日(土)

【私の言葉】

今日は疲れがどっと出てきました。

今まで一人しかいなかったので、気を締めて頑張っていたのですが、Sさんが帰ってこられてホッとしたせいだと思います。

少し疲れているようです。



寝る前までは今日、日記にはこんなことを書こうとか思っているのに、いざこうして日記を広げると、何も書くことが無いのです。

憶えていないというのは、きっと僕にとって取るに足らないことなのでしょう。

拘っているようでも、そんなに性急なものは何一つなく、逆に自分でその拘りを拘らそうとしていたのかなと思いもします。

案外人生なんて思い込みで変えている部分が多いのかもしれません。

全くその通り【和田先生の言葉】



時々、ノイローゼ的な悩みを持っている自分が厭になりますが、悩まない人より悩んで乗り越えた方が、より良い人生を送れるんだと思って頑張っています。

でも、病院とかそんな傷を負った人ばかり居る所にいて、一心寮に居る人達も傷を負っている事で、同じような傷を舐め合うように感じる関係が厭になります。

僕がそういう人達が嫌になっているのか、僕自身の心の中のそういう部分が自分で嫌になっているのかのいずれかだと思います。

この意味合いから、この前の傷の舐め合いと助け合いの違いをもう一度説明して下さい。



最後に大変重要なことです。日頃から先生は平和のことについて言われていますが、今年中になんとかしないといけない程、日本は危機なのですか?

そうだとするなら、僕はどういう毎日を送ればいいのでしょうか?

東京に行ってしばらく居なくなるので、長々しく書かせて頂きました。






【和田先生の言葉】

東京に行くのはよいのですが、行ってどこで何をするのかが問題です。

しっかりと眼を開いて!

ムダなことはしないように。



舐め合いと助け合いの違いは、前者は弱点を弱点として、共に起き上がろうという意欲のない場合だし、後者はもっと希望的で、明るい希望に向かってお互いに努力することだと、私はそう思ってこれらのことばを使っています。



平和の問題。いつどうなるということは、誰も断言できませんが、この瞬間に大戦争が勃発してもおかしくない状態にあることは誰でも承知しています。

つまりこの問題は確定期限付ではありません。

今年中か来年中か五年以内かそれはわかりません。

アラジン君が今、この問題にどう対処したらよいかとなると、直接的な働きかけはできません。

しかし、誰か他の一人にこの問題の重大性を正しく認識させるように伝えることでしょう。

そのためには先づ自分が正しく理解することが先決です。

パンフレット1~10をよく読んで疑問があれば、それを正しておくことが出発です。






前回の記事の中では、和田先生は傷の舐め合いと助け合いは、根本的に違わないと思っていると言われていましたが、今回はより踏み込んで話して下さいました。

わかりやすいですね。

平和の問題。30年前は核戦争が勃発するのでは?という危機感もありましたが、今はあまりにも核が身近になってきて、核戦争が起きれば自国も無事では済まないことがわかっているので、逆に核戦争にブレーキがかかっているような感じがします。

和田先生は核がないことが平和なのではなく、もっと積極的な平和の実現を口にされていましたが、そのために一人一人が出来ることは、我執から離れ、意識を解放させていくことだと思います。


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